- 塾での思い出をお聞かせいただけますか?
- 青二塾大阪校で過ごした日々は、私の青春だったな、と思います。東京に来てからしばらくは、塾生時代に、仲間と河川敷で発声練習や体力づくりをしていたことが懐かしくて、大阪に帰りたいと思っていたくらい。大切な思い出です。
私は、お芝居の経験もゼロで、演技のノウハウも何も知らないまま入塾しました。なので、塾で先生方から伺うお話は全て新鮮で楽しかったです。特に、戯曲を勉強できることは、青二塾大阪校の推しポイントですね。声だけでなく、口だけでなく、身体を動かしながら、仲間たちと掛け合って、感情のぶつかりあいの芝居ができたことは幸せでした。ひとつの台本を、長期間にわたって掘り下げられたことも大切な経験です。今も、台本をいただいたら、掘り下げられるだけ掘り下げるようにしています。
楽しい行事もたくさんありました。夏合宿は特に思い出深いです。そこでは、チームごとに自由に表現できる場が与えられるんです。脚本も、衣装も音響も、演じるのも自分たち。作品の表現の全てを自分たちで考えながら作り込んで、舞台や音響設備のある広い会場で発表するんです。とても勉強になりました。作品として観ていただくには、色々な気遣いが必要なんだという、気付きの場でもありました。私たちのチームは、オリジナルの脚本で「おとぎ話の主人公たちが会議をする」という劇をしました。その中で私はピーターパンを演じたのですが、自分の身体を使ってピーターパンらしい動きの表現をどうしたらいいのか、すごく研究しました。男の子らしい歩き方や座り方、どうしたらお客さんから「男の子」に見えるのか…。弟の動きを見て研究して、チームのみんなに見てもらったりもしましたね。この研究しながら役作りする過程が、楽しかったです。
- 学ばれる中で気持ちの変化などもありましたか?
- 正直、入塾してすぐの頃は、表現することに照れや恥ずかしさもあったんですけれど…、授業を受けるうちに、表現することが嬉しいことに変わっていきました。お芝居する楽しさがどんどん分かっていって、のめり込みましたね。
最初の頃は、塾長先生の前で朗読をするのも、声が震えてしまっていたような私が、塾の後半では、授業の題材でボロボロ涙をこぼしながら「死にたくない!」と叫ぶ表現ができるようになりました。できなかったことが、ひとつずつ積み重なってできるようになってくるんです。発声ができるようになった、声に気持ちをのせられるようになった、キャラクターとして気持ちを理解して役作りが楽しめるようになってきたっていう風に。階段を上っていくような感覚がありました。