- 中井さんは、入塾前は公務員をされていたとお聞きしました。
- そうなんですよね。その前は高専だったし、まったく違う畑です。入塾したのは、25の時です。もともと声優の仕事に興味があって、自分がなれるとは思っていなかったけれど、四捨五入して30だと思った時に、「誰に無理だと言われたわけでもないな。やってみて、然るべき人に無理だと言われたらそこで区切りがつく」と思ったんです。ケジメをつけるために受けた感じ。塾に合格した時も、「とりあえずここまでは行けるんだ」って感覚です。
- 実際に入ってみていかがでしたか?
- 青二塾では、仕事をする上での、基礎の基礎を教わりました。先生方には、どこまで本気を見せられるかと問われている感じがありましたし、僕もここで中途半端にやったんじゃあ区切りがつかないから、悔いを残さないようにやろうとは思いました。2年間、ごちゃごちゃ考えずひとつのことに一生懸命になれたことは大きかったんじゃないかな。現場に行くに際して準備する大切さというか、1回1回が勝負という感覚は塾で学んだことかもしれません。入塾して間もなくプリントをもらったんです。「上っ面を取り繕った芝居で動かせるのは人の心のほんの表層だ。魂を芯から震わせるには自分をさらけ出すしかない。上っ面しか動かせない人は報酬もその程度しかない」って。いきなり「報酬」という言葉を突き付けられて、意識が変わった部分はあります。お金をもらうのか、プロになるってそういうことだよなって。すごい奴っていっぱいいるんですよ。「そんなやり方があるんだ」みたいなことができる人もいて、僕からすると、「プロになる人ってこういう人だろうな」と思えた。だからか、自分に本職の声優になる道が開けているとは、最後まで思えなかったですね。実際、青二プロダクションに合格した時も、「あ、受かるんだ…」って思いました。もちろん嬉しいんですけど、急に現実的に色々考えなきゃいけなくなって、手放しで喜べたのは一瞬だった記憶があります。このまま一生声優を続けられるかどうか分からない。だからって、ここで尻込みしたら悔いが残るだけっていう、もうその繰り返しですね。「どこまでいけるんだろう」と、ここまで来ている感じです。逆にギリギリの楽観論というか、「行くだけ行ってダメだったらしょうがないじゃん」ってとこがあったから、やれる限りのことができたのかもしれません。